「会津」というと、さっと頭に浮かぶのは「戊辰戦争」「白虎隊」ですね。観光シーズンともなると、会津藩の鶴ヶ城、白虎隊自刃の地「飯盛山」は、人で大賑わいです。ちなみに飯盛山には、国の重要文化財でもある「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」、通称「さざえ堂」といわれている建物があります。 さて今回は、その幕末からさらに歴史の頁を前にめくって、平安の会津へと行きましょう。平安といえば、奈良からの伝統である南都六宗に対して、真言・天台宗が興った仏教文化の新時代。東北の玄関、会津でもかの影響は大いにありました。その最たるものが霊地磐梯山を背にした「慧日寺」なのです。
磐梯町の駅から歩いて20分。静かな町並を辿った先に「史跡慧日寺跡」の入口が見えます。大同2年(807)、京都の興福寺で修行した僧徳一(とくいつ)が建立した「慧日寺」は、明治2年(1869)に廃寺になっていました。「史跡慧日寺跡」は、昭和45年(1970)、国の史跡指定を受けてから、磐梯町が長きに亘って整備し、中門・金堂を復元した建物を中心とする史跡群まで作り上げたものなのです。
まず入口から歩を進めると緑溢れた世界に出迎えてもらえ、そしてすぐに龍の落とし水のせせらぎの音が耳に流れてきます。この湧き水は「名水百選」の瀧ヶ沢から引いているそうですが、真夏の炎天下のなかでも冷たいこと、冷たいこと。触れるだけで癒されます。まさに自然の恵みですね。さらに資料館を横手に中央へ~さあ、この地の主たる建物復元された中門、金堂が朱色鮮やかに見えてきました。
中門の手前にも小さな資料館があって、そこでは復元に至るビデオが上映されていました。この復元のお話は耳にしたことはあったのですが、映像でみるといかに大変な工程を経て、今に至ったのかがわかります。
さらに圧巻だったのが、金堂内に座している薬師如来坐像。これも本尊の復元なのですが、東京学芸大学のチームの方達を中心に丹念に作りこまれた名作で、金堂にあるビデオでその足跡をはかれます。
訪れる人達は年配のご夫婦、家族連れ、カップルと様々でしたが、おそらくこうした復元にまつわる苦労話をお土産にもって帰られることでしょう。
少し話は異なりますが、東日本大震災で被害を受けた寺社は東北4県で9000に及ぶといいます。政教分離のことからなかなか復興に届かず、実際に大変な作業を伴うのももちろんですが、文化の継承をいかに大切にするかという見方から、こうしたことにも皆さんの目線が広がっていくのを祈るばかりです。 また、磐梯町のサイトにある史跡慧日寺跡のマップでは、「資料見学約30分~、史跡めぐりは約1時間~」とありましたが、余裕がありましたら、もう少し時間をかけてゆっくりとこの慧日寺ワールドを堪能してみてもよいかもしれません。磐梯神社、薬師堂、平将門の三女と伝えられている滝姫の供養碑である「如蔵尼碑」などなど、廻るべき史跡、景色がたくさんあります。
ちなみに私は、「史跡慧日寺跡」内にある、明治8年(1875)に建築された古民家を改修したカフェ「徳一の里 庄九郎亭」で「ほうれん草ガレット」をいただきました。ガレットって初めてだったのですが、なんといいますか、少し歯ごたえのあるクレープのような味。そば粉が原料で、庄九郎亭のガレットはもちもち感を出した厚めの生地にしているそうです。今度は他にメニューにあった「ベーコンガレット」にもチェレンジしたいですね。会津でガレットというのも予期せぬ楽しい出会いの一つ。ちょっとはしゃぎすぎて2時間ほど、うだる夏の暑さのなかを歩いてしまったので、ここで元気をもらいました!
※このブログは、会津若松市在住の知人からの寄稿です
※磐梯町では、史跡を彗日寺、史跡内に現存する宗教法人を恵日寺を書き分けています
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