第一章泉養寺夏木立P7
神明社地泉養寺P8
神明社地は摂津の深川八郎右衛門が開拓する前から小さな祠があった場所で、慶長元年(一五九六)に深川界隈の鎮守として勧請されていた。いわば深川の臍のような土地で、古木も深川が開発される以前からあったものだ。
関前神社P14(手紙内)
まるで関前神社の大祭の如き光景に御座いました。
遍照寺P56
その帰り、遍照寺のかたわらの道を抜けようとしたら、境内で若い女が両手に持った石臼を、上げたり下げたりしているではありませんか。
随泉院P61
西側に遍照寺、北側に随泉院と塀を接しておりやす。とりわけ、随泉院は夜中に賭場を開くような破戒坊主が和尚だ。
第二章夜風地引河岸P73
なし
第三章朝靄根府川路P143
来宮神社 伊豆山神社P179
「美作津山藩来宮神社 伊豆山神社献納神酒」の木札が立てられていた。
第四章湯煙豆州熱海P215
伊豆山神社P206
伊豆山は古より名湯「走湯」として知られる土地だ。
古文書「行襄抄」には、
<仁明天皇の承和二年(八三五)、豆州に温泉出ず。之を走湯という。大瀧小瀧とて山の岨より湧出て荒磯の岩間へ落つ>
とある。
この走湯の開湯を霊験として伝えるのが、
「走湯大権現」
あるいは、
「伊豆山権現」
として親しまれる伊豆山神社である。
祭神は、火牟須比命、伊邪那伎命、伊邪那美命の三神である。
上多賀神社P245
そこもとらは宿泊所をこの地の上多賀神社の宿坊に用意してござる。
初木神社P268
初島の守り神、初木神社だ。
五代孝昭天皇の御世、東国鎮撫のための船が豆州沖で嵐に遭い、難破して、ただ一人初木姫が初島に流れ着いて助かった。人の住む気配はなかったが、幸い水は湧き出ており、姫は白い煙を棚引かせる対岸の伊豆山を見て暮らしていた。
ある日、筏を造り、草を編んだ帆で伊豆山の小波戸崎に辿り着いた。
白い煙の正体は走湯の湯煙であった。
第五章初島酒樽勝負P287
来宮神社P309
伊豆山に集まった大半の衆が、白衣姿で、上多賀の庄屋や鶴蔵さんを殺しちゃならないと来宮神社に集まっているそうです。