居眠り磐音江戸草紙(05)龍天ノ門

第一章初春市谷八幡P7
市ヶ谷八幡-P7
市ヶ谷八幡は、文明八年(一四七六)に太田道灌が江戸城の鎮守として、鎌倉の鶴岡八幡を勧請して創建したものだ。最初は外堀近くにあったが、寛永年間(一六二四〜四四)の外堀改修に伴い、市ヶ谷御門が造られ、西側に寄った尾張中納言家の上屋敷隣に移された。
鶴岡八幡に対し、末社の市谷八幡とも呼ばれ、江戸の八大八幡の一つに数えられる。
境内に昇る石段の途中に世俗茶木稲荷があって、目を患った者が年の始めに茶断りの日数を決めて祈願すると、霊験あらたかだと多くの参詣人を集めていた。

西念寺P39
親戚やら通いの番頭らが死体の下げ渡しを願っておる。菩提寺の西念寺で通夜が行われることになろうな。

祥雲寺P50
高力染野だがな、眼病を患って、ほれ、真向かいに見える祥雲寺の離れで療養していたそうな。

第二章名残雪衣紋坂P73
神田明神P95
奈緒の吉原乗り込みが延期されたこの日、磐音の姿は神田明神の境内にあった。

東叡山寛永寺P106
二人は人の往来も絶えた寺町を、雪を踏んでひたすら進む。すると東叡山寛永寺の時鐘が四つ(午後十時)を打った。

時雨岡不動P111
時雨岡不動は、丁子屋の寮の北側に位置し、弘法、頼義、頼朝、文覚の伝承諸説あって定かではない。根岸の里の詫び住まいの一景として江戸十八松の一つに数えられる老松が、不動堂のかたわらに聳えていた。

熱田明神P112
熱田明神の日本武尊様に申し訳が立たねえ。

金竜山浅草寺P127
金竜山浅草寺の前を走る広小路が大川とぶつかる吾妻橋際では、何重もの人垣で黒山の人だかりだ。

第三章本所仇討模様P139
なし

第四章危難海辺新田P209
法恩寺P245
本所の法恩寺橋近くに地蔵の竹蔵と呼ばれる十手持ちがおります。

源光寺P254
北割下水のどんづまり、源光寺の前でしたよ。

永代寺三十三間堂P273
美濃部三五郎らに護衛された乗り物は、永代寺三十三間堂のかたわらから汐見橋を渡った。

第五章両国春風一陣P285
磐音は回向院の門前で、麦めしとろろ と暖簾に染め出された店を見つけた。

江戸市中から北州の傾城、吉原の里に通う道は大きく分けて四つあった。
一、舟で大川を上り、山谷堀の船宿から日本堤を行く道
一、駒形から馬道を大川沿いに歩いて日本堤に出る道
一、浅草寺裏から北へ日本堤に出る道
一、上野の山の東側を回って、日本堤の西、三ノ輪へと出る道
磐音は、東叡山寛永寺の東側、下谷車坂から伸びてきた坂本村の田圃に腰を下ろして待っていた。

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