第一章向夏一石橋
大円寺(P16)
この年の二月二十九日の昼過ぎ、目黒行人坂の大円寺を火元とする火事は、麻布、霞が関、虎の門、日比谷、神田を延焼、さらには日本橋、小川町、駿河町、外神田に移り、下谷、浅草、千住に達した。
大円寺は、寛永年間に湯殿山の大海法印が行人坂を切り開いて創建した寺院。
大円寺|目黒区下目黒にある天台宗の寺院
乗普寺(P52)
ふた月ほど前、河出舞の発案で妹の小林奈緒と坂崎伊代を誘い合わせて、城下外れの乗普寺に墓参りに向かった。
第二章暗雲広小路
神田明神(P71)
磐音は五日前まで神田明神下の屋敷の後片付けに通っていた。
神田明神は、天平2年(730)武蔵国豊島郡芝崎村(現千代田区大手町)に創建、延慶2年(1309)には平将門公が合祀され、太田道灌・北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬された神社。元和2年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在地に遷座し、江戸総鎮守として崇敬厚い神社。
神田神社|千代田区外神田の神社、江戸総鎮守、神田明神
第三章騒乱南鐐銀
富岡八幡宮(P160)
金貸しが本業か、やくざが本業か知らねえや。富岡八幡宮前の門前に御大層に一家を構えていらあ
富岡八幡宮は、永代寺の長盛法印が寛永4年(1627)当時永代島と呼ばれていた現在地に創建した神社。深川の鎮守として崇敬厚い神社。
富岡八幡宮|深川の八幡さま、深川七福神の恵比寿神
巌念寺(P176)
坂崎さん、黒岩十三郎と天童赤司は、新堀川沿いの寺町にある巌念寺の離れに住んでおります。
厳念寺は建長5年(1253)、武州足立郡槙村に真言宗の「證誠山成就院護念寺」として創建、江戸時代初期に釋宗心によって江戸鳥越村に移り、「厳念寺」と改称した寺院。
厳念寺|台東区寿にある真宗大谷派の寺院
寿松院(P199)
中之御門と交差するところで、左に折れて、寿松院を正面に見、新堀川の手前の道を辿っていく。
寿松院は、文禄3年(1594)に小田原から江戸へ移転、元禄年中には10ヶ寺の塔頭、宗林寺(現愛知県一宮市)等の末寺を擁していた中本寺格の寺院
寿松院|台東区鳥越にある浄土宗の寺院
西福寺、浄念寺、東禅寺(P199)
西福寺の長い塀から浄念寺、東禅寺と寺が続いた。
西福寺は、慶長3年神田駿河台下に創建、寛永15年当地へ移転した寺院。寺領100石の御朱印状を受けていた大寺
西福寺|台東区蔵前にある浄土宗の寺院
浄念寺は、慶長元年(1596)江戸神田駿河台に開創、慶長10年当地へ移転した寺院。江戸時代には塔頭を擁していた小本寺格の寺院。
浄念寺|台東区蔵前にある浄土宗の寺院
東禅寺については不詳。
第四章大川火炎船(P208)
今戸の妙高寺(P261)
本両替町の伊勢屋丹兵衛の通夜は、浅草今戸の妙高寺で催された。
妙高寺は、寛永2年首玄院日立上人により浅草橋場(今戸)に創建、関東大震災後昭和2年世田谷区北烏山へ移転した寺院。
妙高寺|世田谷区北烏山にある日蓮宗の寺院
第五章雪下両国橋(P281)
浅草寺(P288)
棒手振りの九次っていう者を追ったのですが、浅草寺に寄ってお参りしたあと
地主稲荷(P290)
今津屋に両替に来た客五人が揃ってお参りした社は、奥山の芝居小屋の西側にひっそりと建つ地主稲荷だった。
妙徳院(P293)
二人は浅草寺境内を随身門で抜けて、妙徳院のかたわらから大川へと東に下った。
妙徳院は、浅草寺の塔頭で、現在は、浅草神社裏(北側)にある寺院。
待乳山聖天社(P295)
磐音たちは半丁ばかり通り過ぎたのち、待乳山聖天社の境内に上って、黒鷺一家の裏口が覗けるところまで後戻りした。
待乳山聖天は浅草寺の子院で、推古3年(595)年の創立と伝えられる寺院
待乳山聖天|関東三聖天、浅草七福神
馬頭観音駒形堂(P301)
そして女が浅草蔵前通りの馬頭観音駒形堂の賽銭箱に一両を投げ入れるのを確かめた。
馬頭観音駒形堂は、浅草寺本尊の聖観世音菩薩が隅田川から発見された場所といい、浅草寺の堂宇として駒形堂がある。
駒形堂|浅草寺の伽藍、台東区雷門にある観光名所
回向院(P348)
回向院裏に知り合いの呑兵衛医師がおる。腕は確かだ
回向院は、1657年振袖火事の死者を埋葬し供養したのが起源となって創建された寺院。
回向院|墨田区両国にある浄土宗の寺院